魔獣の女王

簡単な設定はこちらです。
プロローグ

 日本海から吹いてくる凍える風が、年末の鶴北市の市街を通り過ぎていった。
 誰もが寒さに震えながら、歩いていく中、繁華街の隅に座っている浮浪者がいた。
 20代後半であろうか?
 薄汚れた髪、何日も洗っていないとしか思えないジャケットにズボンという格好で何するともなくぼんやりと街を眺めていた。
 彼は、数週間もこの繁華街を歩き、人々を観察していた。
 これから彼が何をするべきか、それを知るために……
 青年は、自分の手を見た。
 垢まみれの汚れた手。
 この手で青年はコンクリートの壁を突き破ることすら可能になっていた。
 望んで得た力ではないものの、人外の力をもった肉体。
 だが、答えは……。
「渇いていらっしゃるようですね」
 麗しい女性の声が頭上から聞こえてきた。
 思考に没頭していたのか、いつの間にか目の前に女性が立っている。
 黒色のローブを着た女性であった。
 視線を上げた男の眼が、女性の顔を見た瞬間、凍りつく。
 あまりにもの美しさに。
 夜の闇の色をした長い髪。
 すべてを見通すかのような澄み切った漆黒の眼。
 新雪のような純白の肌。
 黄金律を模して創られたとしかいいようのない美貌。
 完全なる美の化身が、存在していた。
 その全身から、この世のものではない異質な気を女性は漂わせていたが、その気ですらも、彼女の美しさを際立たせる道具となっていた。
「渇いていらっしゃるのですね」
 再び問いかけた美女の言葉に、青年は我に返った。
「渇いている、俺がか?」
「はい」
 宇宙の深淵を想像させる瞳で、青年を見つめていた美女が、ゆっくりと頷きながら答えた。
「あなたの望みは、人々の幸せになること。しかし、貴方が差し出した体は、強欲な老人たちのための研究材料でしかなかった。」
 彼しか知らぬ事実を、なぜか美女は知っていた。
「あなたの得た超人的な力は、現代の日本では役に立たない。そして、あなた自身も戸籍上は死人。それでも、あなたは何か役に立てないか、とこの街の人々を見ていた。……そして、あなたの心は乾いていった。この世界の存在そのものを否定するほどに……」
「どこで、調べたのか、よく知っているな」
 渇いた笑みを男は浮かべた。
「それで? だから、どうだというのだ。俺にテロリストでもなれというのか?」
 美女は男を見た。
「似て非なるもの、世界を滅ぼす存在になりませんか?」
 美女の答えに、男は笑った。
「世界を滅ぼす存在? 何を世迷言を……」
 男の言葉が途切れる。
 美女の体から発散される異質な気が、まるで物質化したかのように男の体にまとわりつく。
 触れた皮膚が拒絶反応を起こす。
 男は、言い知れぬ恐怖を感じ、美女を見て、そして悟った。
 彼女は美しかった。
 だが、美の女神の化身のような、その美貌が彼女の美しさを表しているのではない。
 この世のものではない異質な存在それ自体が、彼女の美しさなのだ。
 この世界の美の基準など、その異界の美に比べれば、添え物でしかなかったのだ。
 今なら、先程の彼女の言葉が真実であることがわかる。
 彼女と同じ存在になるのならば……
 ……それは世界を滅ぼす存在以外有り得なかった。
 彼女の瞳に心が吸い込まれそうな気がして、男は美女から視線を外した。
 そして気づく。
 彼女に付き従うように、数人の男女が自分を取り囲んでいることに。
 その誰もが、一定以上の力を持つ者特有の気配を有していた。
 超人となった男であるが、彼らには適わないと思わせる格が彼らにはあった。
 彼らの気配から、目の前の美女に従っていることがわかる。
「……女王」
 男は、思わず呟いていた。
 自分の言葉に驚き、そして納得する。
 目の前の美女にはふさわしい言葉であった。
 超常の力を持つ者を従え、世界を破滅に導く異界の女王。
 男の心の内に、喜びが芽生える。
 彼女自身が、彼を招きいれようとする事に。
「なりますか、私と同じ存在に、その心の虚無を満たすために、そして……、世界を滅ぼすために……」
 再び美女を見た男の目を、深淵たる黒き瞳が射抜く。
「……ああ」
 男は承諾した。
 この渇きをいやせるのなら、そして彼女の従者となれるのなら。
「では、貴方に力を与えましょう、千年前の彼の力を、彼もあなたと同じ気持ちを胸に抱いていた、……きっと仲良くなれますわ」
 彼女の体から放たれた異質な気−邪気−が、男の体を包みこむ。
 邪気が全身に侵食し、この世ならざるものへと彼の肉体を変えていく。
 世界を滅ぼす666の魔獣の一つへと変化しながら、男は……
 ……渇いた笑みを浮かべた。


 鶴北市の繁華街で、突如、砂塵とともに建物や人、物質が塵になるという事件が発生していた。
 聖石によって確認した結果、同事件を魔獣によるものと認め、砂を操り、ターバンを巻いていることから砂塵将と呼称し、破壊規模の大きさから至急騎士へと連絡を開始した。



 12月、外では木枯らしが吹いていたが、暖房の入っている聖グレイル学園の職員室には別世界の話であった。
 期末考査、そして、本番直前の大学入試。
 生徒だけではなく、教師もまた多忙に見舞われており、職員室にいる教師たちは各々の仕事に没頭していた。
 たった一人を除いては……。
「神は常に天はいまし、この世はすべて事もなし……か、幸せの一つの形態ではあるが、いささか退屈だな」
 職員室の片隅に設置されている応接セットのソファーに座り、優雅な仕草で紅茶を飲みながら、神無月鏡也(かんなづききょうや)は呟いた。
 長髪で、眼鏡をかけた美貌の青年。
 彼もまた、この学校に在籍しているが、着ている白衣が示すように、校医であるため、教師たちの多忙から免れていた。
 鏡也は、視線を彼の研究対象に向ける。
 我孫子安彦(あびこやすひこ)、そして御剣凪(みつるぎなぎ)。
 二人もまた、己の仕事に没頭していた。
(これでは、私の研究も滞ってしまうな)
 鏡也は溜息をついた。
(彼らを観察するために、無理矢理校医になったというのに……。)
 鏡也は、人ではなかった。
 悪魔や天使、怪物など、人外の存在”闇の者”の一人であった。
 千年の時を生きてきた彼の今の目的は「世界を知ること」であった。
 その研究の果てに、彼は、魔獣の存在と、世界最強の能力者たち”円卓の騎士”たちを知る。
 そして、いかなる運命の悪戯か彼らの何人かが、この聖グレイル学園に、あるものは教師として、またあるものは生徒として在籍していることを知り、校医として潜り込んだのだが……。
(やはり、実戦を見なければ、判断が難しいな)
 鏡也はもう一度、二人を見る。
 安彦も凪も、円卓の騎士であった。
 しかも、ただの騎士ではない、騎士の中でも、魔獣との戦いに貢献したものに与えられる聖騎士の称号を得た二人であった。
(……ふむ、もしも、ここで私が本気で破壊活動をおこなったら、彼らはどうするかな?)
 さり気なく物騒な事を考えていた鏡也の白衣のポケットから携帯電話の着信音が鳴り響く。
「……ほう?」
 鏡也は、ティーカップを置くと携帯電話を手にする。
「私だ。」
 その刹那、世界が凍りつく。
 職員室の色彩が白黒となり、職員室にいる人々の動きがピタリと止まる。
「やあ、久しぶりだね」
 携帯電話のスピーカーから聞こえてきた声は、鏡也の目の前からも聞こえきた。
 鏡也は視線を前にむけると、神々しいほどの美貌の青年がいつの間にか対面に座っていた。
 携帯電話を耳にあてた状態で。
「おや、マーリン君。久しぶりだね」
 驚いた様子も戸惑った様子もなく、逆に微笑み、携帯電話をかけた状態で話しかける。
 鏡也の対面に座る男こそ、円卓の騎士総帥マーリンであった。
 魔獣と対極の位置にある力の持ち主のため、魔獣には一切力が通じないため、後方のサポートに甘んじているが、真の世界最強たる存在、現世に舞い降りた神とも謳われる存在であった。
(それほどの力の持ち主ではないという噂もあるが……、彼の力を見ていないものしか言えぬ戯言だな)
 鏡也は微笑みながら、目を細める。
 この空間凍結も、総帥の技によるものであることは間違いないが、これほどの大掛かりな術にあるにもかかわらず、瞬時に完成し、術をしかける気配は微塵もなかった。
 しかも、術の構成の推測はできるが、鏡也の目には、構成の片鱗しか解析することができない。
 数百年にわたる研究を経て、あらゆる構造を読み解く事ができる知識を有するがゆえに円卓の騎士になることができた鏡也の目をもってしても、なお……。
 だが、神にも匹敵する力の持ち主を前にしても、鏡也は対等の立場を崩さなかった。
「それで、君が直接私に会いに来ると言う事は、……魔獣かい?」
 それは質問ではなく、確認であった。
 それ以外の事で、彼が動くことは余りなかった。
「ああ、無論、そのつもりだよ。どうやら、物質崩壊を起こす魔獣らしい、君のような力の持ち主なら、興味深い相手だろ」
「確かに」
「それで、引き受けるかい? どうやら、今回の魔獣は派手に動いているらしいから、緊急を要するのだよ、駄目なら他をあたらないといけないしね」
「行かないのなら他をあたるけどね。」
 マーリンの視線が、動きを止めた安彦と凪に向けられる。
「ふむ、まあ、いいだろう。……だがその前にひとつ条件を付け加えてもらえないかい?」
「なんだい」
「邪力を再現するつもりも、魔獣を利用するつもりも無い。ただ、その研究をさせてもらいたいんだが……」
 鏡也には珍しく一瞬逡巡した後、口を開く。
「……つまり、だ。魔玉を解析させてもらいたいんだが」
 マーリンは即答する。
「無理だな。」
 笑みを浮かべてはいるが、その目は笑っていなかった。
「昔、聞き分けのない子供が盗もうとした事もあったが、あれは研究するのも危険なものなんでね、もしも、手を出したら、私は本気で君を消滅させるよ」
「なら、仕方がない、魔玉はあきらめよう」
 鏡也は肩を竦める。
 興味はそそられるが、自分の命を代償にはできなかった。
「とにかく戦うだけでも参考になるだろう、よろしく頼むよ……、それと「彼女」にあったら、よろしくいっておいてくれないかな」
「彼女?」
 鏡也は、マーリンを見た。
 ポーカーフェイスな笑みを浮かべていたが、わずかな感情のゆらぎがあった。
 ゆらぎはわずかであったが、含まれる感情も複雑に絡まりあっていた。
(それだけ、彼と因縁ある存在というわけだね)
 ならば、ただの魔獣というわけではなるまい。
 興味はわくが……
「なら、よろしく頼むよ」
 その言葉と同時にマーリンの姿が消え、空間凍結も消える。
 耳にした携帯電話も切れていた。
「ふむ……」
 携帯電話をしまい、鏡也は紅茶を飲み干した。
「よろしく言っておいてくれ、……か、それはいいのだが、ただ心配なのは、それだけですめばいいのだがね……」
 鏡也は溜息をつくと、職員室を後にした。
 



 鶴北市の繁華街に砂漠が出現していた。
 突然、吹き荒れた砂嵐とともに、繁華街の一区画のビルが崩壊したのだ。
 ビルの表面から分解が始まり、砂塵へと姿を変えていく。
 ……ビルの中にいた人々とともに……
 突然の事に、周囲の人間は騒然とし、野次馬も集まるが、約100メートル四方に出来上がった砂漠の中に足を踏み入れるのものはいなかった。
 あまりの異様さが故に。
 もしも、踏み込めんでしまえば、2度と戻ってこれない。
 好奇心よりもまさる恐怖がそこにはあった。
 砂漠の中央には、一人の男が曲刀を片手に立っていた。
 頭にターバンを巻き、砂漠に住む遊牧民の民族衣装を着た男
 だが、その容貌は中近東というよりは、日本人っぽい容貌であった。
 彼が、この異常現象の元凶であることは間違いなかった。
 男は微動だにせず、瞑目している。
 野次馬の群れに紛れ、その様子を冷静に観察している少年の姿があった。
 中性的な美貌の少年であった。
 戸惑いざわめく人々の中、ただ一人油断なく男の動向を探る。
「まさか、大学の下見にきたら魔獣と出会うなんてね」
 少年は苦笑を浮かべる。
 その右手にいつの間にか、球形の物体が握られていた。
「……なるほど、それが噂に聞く仙界の宝貝の一つ”太極図”か、まだ発動していないのに、その魔力。なるほど封神の戦いのおりに太上老君が使用したといわれるのも頷けるね」
 突然、現れた気配と共に語られる言葉に、少年は振り返った。
 鋭く冷たい輝きを帯びた瞳が、声の主を見て、戸惑いを浮かべる。
 聖グレイル学園に在学している少年は、目の前の人物を知っていた。
「……神無月先生でしたね、あなたも騎士だったのですか?」
 洸の問いに、鏡也は悠然と微笑む。
「まあね、普段の状態において目立つ能力ではないから、気づかなくても恥じる必要はない。君と同じ位階だよ、<隠者>の騎士久遠洸(くどうひかる)くん。」
 騎士は、得意とする能力によって、タロットの22のアルカナの名称に基づいた位階にて分類されていた。
 <隠者>の騎士は、別名賢者とも呼ばれており、特定の分野の知識に長けたものに与えられる位階であった。
 鏡也は、あらゆる構造を読み取る知識から、そして、洸は仙術の知識を有していることから、<隠者>の騎士の位階を与えられていた。
 洸は、鏡也に気づいていなかったが、鏡也は洸の事を詳しく知っていた。
 騎士は、鏡也の研究対象であり、聖グレイル学園に在学しているならば、なおさら情報は確実に抑えていた。
 <隠者>の騎士 久遠洸。
 魔獣の復活に備え、一つの魂を二つにわけられ、一つは日本人としてごく普通の生活を行い、もう一つは仙界にて過酷な修行を積まされた少年。
 魔獣復活と共に、二つの魂は一つとなり、仙界より、至宝の宝貝−マジックアイテム−の太極図を与えられ、魔獣との戦いを命ぜられているのだ。
「……そうですか、よろしくお願いします。」
 洸は軽く頭を下げた。
「こちらこそ、よろしく。では、まず周囲の人をなんとか遠ざける算段からしようか? とはいっても、私にはそんな力はない……」
 鏡也は洸をみて微笑んだ。
「よろしく頼むよ」
「……わかりました。」
 右手に握られていた太極図から、膨大な魔力が放出される。
 魔力が瞬く間に周囲の空間全体に満ちていく。
「疾!」
 広がった魔力が、洸の言葉に従い、動き始め、砂漠の内と外を遮断する見えざる壁を形成する。
 もしも、無謀なものがいたとしても魔獣に近づくことはできないであろう。
 その様子を鏡也は満足そうな笑みを浮かべながら見ていた。
「お見事、素晴らしいものを見させてもらったよ」
「これで、被害が広がることはないと思いますが、では、魔獣に会いに行きますか?」
「ああ、だが、ただ行くのでは面白みもないし、危険だ。今度は私が一肌脱ぐとしよう。」




 魔獣となった男は、自分が創り上げた砂の世界の中、戦うべき相手が来るのを待った。 これだけ派手な破壊活動を行ったのだ。
 すぐに騎士が現れてもおかしくはなかった。
 いや、騎士を呼び出すために、わざと大々的な攻勢を仕掛けたのだ。
 ゆえに男は待った。
 待っている間にも、心の渇きは次第に増していき、強大な破壊衝動が男の心に浮かんでは消えていった。
 だが、男は耐えた。
 衝動に負け、破壊活動をしても、心の渇きは癒せぬのであった。
 しばらくは瞑目していた魔獣であったが、正面の空間が歪むのを察知して、眼を開ける。「ようやくきたか、円卓の騎士よ」
 空間転移した洸の姿を、男は鋭い瞳で睨む。
「……。僕たちの組織の事を知っているんですね。あなたは何がしたくて、こんな事を?」
 洸の問いに、男は無言であった。
「このままここに居続けるつもりでもないんでしょう?」
「いや、一つの目的は果たした。お前がここに来たからな」
 男は鋭い目で洸を睨む。
「僕たちをわざわざ呼び寄せたと」
「いずれは、出会う存在だ。この渇ききった世界を救おうとする愚かな者たちよ」
「そのためだけに、ここを砂漠に変えたと?」
「違う、ここだけではない。日本を、そして世界を砂の世界に、……そう、死の世界にするのが、目的だ。ここはその手始めにすぎん」。
「全世界を、ですか?」
 洸の問いに男は頷いた。
「そうだ、この日本の結界をとりのぞき、俺は世界を滅ぼす。こんな世界はあってもなくてもいい……」
 男の言葉は力強かったが、その眼はまるで何かを渇望しているかのように洸には見えた「あなたは何を望んでいるのですか?」
「欲にまみれ、その日の快楽しか追求しない人間たち、彼らを見る度に、俺の心は渇いていった……。ゆえに滅ぼす。こんな世界など存在する価値など俺には見出せない」
「善良な人々だっている」
「人の心は、悪なのだよ、少年。1000年たっても、人の心は変わらない、いや、さらに人の心の闇は広がっている。だから私たちは渇いていく……」
 男の体から立ち上がる邪気が膨れ上がっていく。
「俺を魔獣に変えた女から、お前達のことは聞いたが、はたして俺の渇きを潤せるか?」 男は大地を蹴って、空高く跳躍する。
 手に持つ曲刀が濃厚な邪力を護る。
 地上を見下ろした男の目に、身構える洸の姿があった。
「遅い!」
 男は洸めがけて急降下すると、曲刀を振り下ろした。
 回避する余裕も与えない神速の斬撃が、洸の頭に打ち込まれる。
 だが、洸の頭は無数の鏡の破片となって砕け散った。
 砕け散った無数のガラスの破片が、邪力を浴び、塵へと還っていく。
「鏡像か!」
 着陸した衝撃で巻き上がった砂塵が、男の周囲で螺旋の渦となる。
 それは自然の動きではなかった。
「そこか!」
 砂塵が烈風とともに、砂漠の何もない空間にむかって走っていく。
 砂塵により空間に亀裂が走る。
 いや、空間ではない、鏡面に亀裂が入ったのだ。
 砂塵により砕け散る鏡の先に、洸と、そして鏡也の姿があった。
「ふん、保身か……」
 男の顔に蔑みの表情が浮かぶ。
「『用心』だよ。いわれも無く襲い掛かられてはたまらんのでね」
 鏡也は肩を竦めて答える。
「だが、いろいろと見させてもらったよ」
「逃げ隠れているだけのお前がか?昔もいたな、お前のように口だけの術者が、正体を見せた瞬間に、怯え、命を乞う」
「なら、私もそうしなければならないかな?」
 真顔で鏡也は答えると、鋭い目つきで男を見る。
「だが、まだ命乞いは早い気がするね。二つの魂、旧き戦士と、新しき者、渇きをともに抱く魔獣よ」
 鏡也の言葉に、男の顔に動揺が浮かぶ。
「おや、どうしたのかな? 顔色がかわったようだが?」
「……訂正しよう。お前は、私を滅ぼした戦士といっしょだ。油断ならない存在だ。本気を出させてもらおう」
「それは次回にさせてもらおう、引くぞ洸君」
「はい!」
 それまで静かに術力を高めていた洸が、大極図に術力を注ぎ込む。
 二人の周囲の空間が歪みはじめる。
「逃がすか!」
 男が砂塵の中を鏡也たちにむかって走る。
 男の意思に反応して、砂塵が鏡也たちにむかって襲い掛かる。
「ふむ」
 鏡也が、右手を振った。
 右手の先から、魔力が迸り、鋭利な鏡となって男に向かって襲い掛かる。
「くっ!」
 男は、曲刀で鏡を迎撃する。
 曲刀が触れた瞬間、鏡は塵となって消えていく。
「逃がすか!」
 空間の歪みにむかって、男は曲刀を振るった。
 強力な邪力が、洸の術力さえも霧散させながら、二人に向かって伸びていく。
 だが、曲刀が貫いたのは、またしても鏡像であった。
「じゃあ、また会おう。」
 割れて塵へと還っていく鏡の奥で、鏡也はにこやかに笑い、空間の歪みの中へ消えていった。




 砂漠と化した一帯の地域は、テレビでも放映され、今でも野次馬が続々と集まっていた。 集まりながらも、あまりにも異様な状態のため、砂漠には誰も足を踏み入れず、周囲の人の壁がどんどん膨れ上がっていく中、やや離れたビルの路地で、壁にもたれかかり煙草を吸う男の姿があった。
 白のコートにグレーのマフラーの青年であった。
 不健康的なほどに白い肌の顔には、苦笑が浮かんでいた。
「……来ては見てたが、すでに砂漠となっていたとはねえ」
 青年はぼやきながら、砂漠の一角を一瞥する。
 彼の名は、丹宮流依(にみやるい)、洸や鏡也と同じく円卓の騎士の一人であった。
 位階は、強力な魔剣使いに与えられる<正義>の騎士、だが、彼には位階よりも有名な彼を示す言葉があった。
 戦輪(せんりん)。
 それは、彼が円卓の騎士の中においても、魔獣との戦いに貢献したものに与えられる聖騎士のみが持つことができる字名(あざな)であった。
 彼が、聖騎士を得たのは、魔獣を束ねる存在である魔獣王の一人、歪みの魔獣王と戦い、勝利を得たためであった。
 流依がここに来たのは、魔獣となった男が、浮浪者をしており、つい最近、この街で有名になりだした女占い師と接触したとの情報が入ったからであった。
 魔獣に組するものの中に、災厄のアルカナと呼ばれる魔獣を創りあげる存在もいるため。女占い師を彼らだと踏んで行動にでたのだが。
「やれやれ、でも、彼らがここにまだいるかも知れないから、念のためやっておくか」
 流依は、懐から1枚の輪を取り出した。
 綺麗な装飾の施された輪であった。
 輪の淵が鋭利な刃となっているそれは、チャクラムと呼ばれる武器であった。
「姫、何か感じないかな?」
 流依は、チャクラムに語りかける。
 彼の持つチャクラムはただのチャクラムではなかった。
 千年前の魔獣大戦にも使われた己の意思を持つ魔剣”マテリアル”であり、強大な力ゆえに、流依の字名の由来となったのだ。
 マテリアルの装飾品の中でも、一際紅い宝石が魔力の輝きを放つ。
 それは、そもそもマテリアルの装飾品ではなかった。
 緋柘榴眼。
 術者を護る盾となるために存在する現人形(うつしにんぎょう)の一族である字伏(あざふせ)の家にあったものであった。
 前回の魔獣討伐の際、<悪魔>の騎士 字伏戒那(あざふせかいな)より、半ば強引に預かったものであり、使いやすいようにマテリアルの装飾品にしたのであった。
「魔獣の気配が二つあるわ、そして私たちと同じくらいの力も何体か感じるわ」
「……やれやれ、色々と面倒な思惑がありそうだなぁ……さて、どうしようか」
 流依は逡巡した。
 状況はあからさまに不利である。
 いままでの戦いからして、姿を現すことがあっても傍観するのが災厄のアルカナの取る行動であり、全力をもって騎士を殺害しようとする事はまずはなかった。
 だが、本来ならば、個人で行動する災厄のアルカナたちが複数動いているのだ。
 流依たちが知らぬ、大々的な作戦がこの地で行われているかもしれなかった。
「まな板の鯉というわけかな?」
 流依は苦笑を浮かべる。
 もしも、作戦を展開しているのなら、当然、騎士が動くことも推測しているはずだ。
 しかも、これだけ大々的に魔獣が破壊活動を行っているのだ。
 騎士が動くことを前提にしているに違いなかった。
「さてと……」
 流依は短くなった煙草を地面に捨て、足で火を消した。
 油断なく周囲の気配を探りながら、虚空にむかって語りかける。
「こっちを観察してる人がいるなら、ちょっと話をしに出て来てくれたら嬉しいのだがね」
 だが、流依の答えに答えるものはなく、気配も何も感じられない。
「やっぱり、そう上手くはいかないか」
 苦笑を浮かべて立ち去ろうとした流依は、動きを止める。
 一体いつからそこにいたのか? 
 漆黒のローブをまとった美女が、流依の目の前に立っていたのだ。
「姫、気づけた?」
「ううん、今、突然現れたみたい」
 マテリアルの回答に、流依は口元だけ笑みを浮かべる。
 占い師のような格好をしていることからして、今回の首謀者に間違いなかった。
「どうも、こちらの要望に応えていただけたようで。貴女が今回の指し手ですか?」
 流依は尋ねながら、美女を観察する。
「そうともいえるし、そうともないともいえるわ。私は彼の願いを聞き入れただけ、そして彼に紹介しただけだから」
 柔らかそうな笑みを浮かべながら、美女は流依を見る。
「彼の願い、ですか。」
「彼の心は渇ききっている。強欲なものたちにもてあそばれた事、浮浪者となった時の人々の視線、その日の楽しみだけを追い求める刹那的な若者達……、だから彼に紹介した。同じ渇きを持った彼に。私はただそれだけのことをしただけ。どうするかは彼らが決めること……。あなたは渇いていないのですか、この世界に?」
 美女の吸い込まれそうな漆黒の瞳が、流依を射抜く。
 すべてを包み込み癒してしまいそうな深淵な想いの込められた瞳。
 意識どころか、魂までも吸い込まれそうであった。
 流依は眼を閉じる。
「渇き、ですか。」
 流依は眼を開け、微笑を浮かべる。
「まあ、私には関係の無いことだな」
 すべてを突き離すような笑みであった。
「人間がどのように変容しようと、それが私を絶望させようと、今ある世界を守るのが約束、いや、それが私の……」
 流依の全身から魔力が迸る。
 魔力はマテリアルの魔力と絡まりあい、互いの魔力を増幅させ、再び流依の体にへと舞い戻っていく。
 すると流依の背中から、燦然と魔力を放ちながら純白、銀、漆黒の翼が現れた。
 変化はそれだけではなかった。
 服の上からでもわかる豊満な胸、細い腰、そして美しい曲線を描く尻。
 それは女性の体であった。
「逃れざる運命だな」
 女性となった流依は毅然とした態度で答える。
「それが、一子相伝の退魔一族”天司(てんし)”の力ですね。運命に翻弄される男でも女でもない存在よ」」
 天司、それは流依の体に秘められていた退魔の力であった。
 輝ける翼を持ちし、絶大な魔力を振るいしその力は、女性に継承される力であり、本来生まれるべきであった流依の姉が受け継ぐ力であった。
 だが、運命の悪戯により、双生児であるはずであった流依の姉は、弟へと血肉と力を与え、この世に生まれることはなく、天司の魔力もまた女性ではない流依の体内で眠り続けていたのだ。
「そういう、貴女は一体、何者なのかな? どうやら、災厄のアルカナではないようだが?」
「私は私、ただそれだけの存在よ。この戦いも貴方と彼女たちの運命の糸がたぐりよせたものと知るでしょう」
「そんな謎賭けでごまかすつもりか?」
 流依の背中の翼から魔力が展開すが、周囲を見渡し、流依は魔力を抑える。
「……どうやら、護衛がいるようだな」
 流依は、自分と互角レベルの能力者の気配を複数感じていた。
「護衛じゃないわ、ただみんな、私を心配してくれているだけだわ」
 微笑を浮かべ美女は言った。
「それでは、また会いましょう。世界を護る騎士よ」
 美女が軽く頭を下げると、出現した時と同じように一瞬のうちに流依の目の前から消え去った。
 それと同時に、流依を警戒していた気配も消え去った。
 流依は軽くため息をつくと、眼を閉じる。
 魔力が体内に収束されていき、翼が背中へと消えていき、マテリアルから得た魔力もまた本体へと還っていった。
 数秒後、路地には、男に戻った流依と、マテリアルの姿しかなかった。
「やれやれ、どうやら厄介な相手みたいだね、姫」
 流依は苦笑を浮かべた。
「ええ、はっきりとはわからないけど、流依の力も知っていたようだわ」
「……私の力じゃない、姉さんの力だ。」
 流依の顔には笑みが浮かんでいたが、その眼は冷たく暗かった。
「私は、所詮、どこまでいってもイレギュラーの存在だからね、本来、生まれるのは、姉さんで、私は生まれる存在ですらなかった。私のこの魔獣と戦う意思ですら、私自身のものでもないかもしれない」
 流依は、祖父から、祖母である先代の天司の遺言を伝えられていた。
 自分が姉の身代わり、代用品であることを。
 そして生きていれば、姉は天司として魔獣と参戦し、そして戦いの中に死ぬと書かれていたとの事であった。
 その事実を知り、自分の出自を認識したことにより、完全ではないものの天司の力も引き出す事もできるようになったが、異能を得たよりも、自分の存在と意思を否定されたショックのほうが、流依には強かった。
 アイデンティティが崩壊しかけ、この数ヶ月間、自暴自棄になったりしていた。
 今は、運命を受け入れてはいるが、それはただ単に受け入れただけであり、決して前向きな意思で魔獣と戦っているわけではないのだ。
「運命の糸か、……世界をかけた戦いといっても、それは大きな存在からすれば、盤上にならべた駒を戦わせるゲームかもしれないね」
 流依の顔に寂しげな笑みを浮かべる。
「……流依」
 心配そうな声をマテリアルが上げる。
「大丈夫だよ、姫。迷いがないとはいわないけど、受け入れることに決めたのだから、この運命を」
 流依をマテリアルを眼の高さに持ち上げ、微笑む。
「それに、どんな運命であったとしても、姫に会えただけで、私は幸せかもしれないしね」
 流依は微笑んだ。
「流依!」
 嬉しそうな声を上げるマテリアルに、そっと口付けすると、コートのポケットにしまう。「……さてと、今回の魔獣の弱点の収穫はなかったが、有能な駒の二人は、しっかりと調査してくれたかな?」
 流依はうそぶくと、路地を後にした。




「しかし、まさか、誰も明確な情報を得ていないとはね」
 連絡所へ戻り、鏡也と洸から話を聞いた流依は思わず苦笑していた。
「そういう君はどうなのかね?」
 鏡也の問いに、流依の脳裏に、先ほど出会った美女の顔が浮かんだ。
「……いや、特にないね」
「ふむ」
 流依の表情をじっと鏡也が観察する。
「なにか、ついているのかな」
「いや、なんでもない。少なくとも有益な情報を得ていないのは事実のようだしね。しかし、彼の出自はわかったが、それだけでは仕方がないな」
 鏡也が苦笑する。
 事件が起きる数週間前、山間の某薬品会社の研究施設にて爆発事故があったとの情報を得た鏡也は、洸を引き連れ、調査に向かった。
だが、わかったのは、そこが生体実験を行っていた事であり、事故自体は、被験者の一人である水地京一(みずちきょうじ)が、自分の生体実験を知って脱走したのをカモフラージュするためであった。
 そして、彼こそが、魔獣となった男であった。
「人類の未来のためと甘言を用いて被験者にしたが、実は強欲な一部の権力者の不老長寿のためだとばれて、逃走。……まったくもって、けしからぬ連中だ。研究者として恥ずかしいな。素直に交渉して納得させられないとはね、それならどんな研究をしてもいいと思うがね。」
 賛同を求めるように鏡也は二人を見るが、二人は苦笑しただけであった。
「……、とりあえず、魔獣は誰かということはわかったが、弱点まではわからなかった。能力としては、あらゆる物質を塵に、そして魔力を霧散させる力、……そして砂塵を操る力のようだね」
「砂は僕が何とかします。」
 洸が力強く宣言する。
「ああ、お願いするしかないようだね。砂漠を作り出し、あまり行動しないところから推測すると、洸くんの狙いは正しいかもしれないし、実際そうならば、君の呪が一番有効なな気がするからね」
「わかりました。」
「もう一つ、注意しなくてはならないのは、彼が融合型の魔獣であり、しかも、彼だけではなく、もう一つの精神、おそらく前世で魔獣となった男の意識も残っている、もしくは二つの魂が融合しているおそれがあるということだよ」
「……どうして、そんなことがわかるんですか?」
「洸くん、君もその場に居合わせただろ? 二つの魂、旧き戦士と、新しき者、渇きをともに抱く魔獣と私が言ったのを。」
「はい」
「いいかね。彼の言動や思考は、現在の日本を知っているからこそ、成り立つものだ。だが、それと同時に、彼の口ぶりからすると、千年前の人々の心の在り方も知っているようだ。しかも、それは魔獣としてではなく、その時代に生きてきた人のような口ぶりだった。ここから推測するに、おそらく千年前の魔獣もまた融合型の魔獣だったのだろうね。とにかく、彼には知恵がある。現代人としての知性と、戦士としての戦術の、そこを考慮して責めなくてはいけないから、注意だけはしたほうがいい」
 鏡也が、二人に説明する。
「しかし、二つの異なる魂が、同じ想いを抱き、同じ目的のために行動する。なかなか面白いケースだと思うが、同じような魂の在り方をしている洸くんは、どう思うかな?」
「どうといわれても、僕の場合、魂は同一ですし」
「しかし、それでも生を得た次の瞬間から、まったく異なる生活をしているのなら、魂の形も質も別人といっていいのじゃないのかね、人を形作るのは魂だけではない、その生き様も重要な要素だからね。」
 鏡也は面白そうに洸を見る。
「君の場合、上手く融合しているようだが、気をつけたほうがいいかもしれないね。なんらかのショックを受けると、魂が剥離して、下手すれば自我と記憶が消滅するかもしれないからね」
「ご忠告感謝します。でも、そんな事はないと思いますよ」
 さすがの洸も憮然とした表情で答える。
 二人のやり取りを見ながら、流依はぼんやりと敵対する魔獣について考えていた。
 世界を滅ぼす存在であり、今の流依が受け入れた運命において倒すべき存在。
 だが……
(私よりも、よほど、自分の意思というのがあるのだろうね。)
 流依は自嘲気味な笑みを浮かべる。
「……でも、滅ぼさせてもらうよ」
 流依はぽつりと呟いた。
 



 砂漠と化した世界で、水地京一は、流依たちが来るのを待っていた。
 渇きを、心の渇きを一時的にでも潤すために。
 そして、彼の魂に宿るもう一つの魂、千年前の戦士の魂が戦いを求めるがゆえに。
 だが、一向に来る気配はない。
「ならば、仕方がないな」
 京一は呟いた。
 砂漠と化した場所の周囲には、洸の結界が張り巡らせてあったが、魔獣の力を得た彼にとって、世界最強の術者が創り上げたものでもあっても、容易に破ることはできた。
「今の2倍ほど塵に還せば、奴らも出てくるであろうな」
 結界を破壊すべく、曲刀を振り上げたその刹那、新たな魔力が世界を覆った。
 京一の周囲の空間が、そして大地が、魔力によって、強制的に書き換えられていき、瞬く間に、京一の体は、虚空にあった。
 足元の空間が固定されているため、普通に立つことはできるが、見渡す限り何もないところであった。
「砂は封じさせてもらいましたよ」
 空間が歪み、薄桃色の道士服をまとった洸を先頭に、流依たちが姿を現した。
 洸の右手では、大極図が膨大な魔力を放っている。
「小細工だな」
 動揺した様子もなく京一は言い捨て、曲刀を構える。
「その策が果たして我に通じるか、試してみるがいい」
 不敵な笑みを浮かべる京一に対し、流依が対峙する。
 相対距離は、約5メートル、曲刀の間合いからはわずかに遠い。
「いわれなくても、試させて、そして滅ぼさせてもらうよ。」
 微笑を浮かべたまま、流依はマテリアルを取り出した。
 マテリアルから強力な魔力が迸る。
 千年前に魔獣により滅ぼされた王国の姫君の意識の宿りし戦輪。
 そして、千年前の戦いにも活躍した世界でも最強クラスの魔剣の一つであった。
 マテリアルを見た京一の顔が、驚愕と怒りに歪む。
「貴様もいたのか! 千年前に我を滅ぼした魔剣よ!」
 怒りのためか、全身から放たれる邪気の量が増大したが、流依は挑発するような笑みを浮かべた。
「真打ちは最後まで姿を見せないものだよ。……それにしても、懲りずに出てきたみたいだな。しかも、千年前から進歩が無い」
「貴様! 今度は私が滅ぼす番だ!」
 憤怒の形相で京一が叫ぶ。
「流依くん、知り合いかな?」
 流依の背後にいた鏡也が尋ねる。
「ああ、姫の記憶の中にあるね」
「弱点はわかるかな?」
「……いや、転進して止めだけ刺したようだな。それに、あの頃は大結界もなかったから、物量戦だったしね。」
「ふむ、結局何もわからず、戦況だけ不利になったか。先ほどもまで心が渇ききっていたようだが、それを潤すに足りる敵が現れたのだからね」
 大げさにため息をつくが、その顔は楽しそうであった。
「なら、僕が行きます。フォローよろしくお願いします!」
 洸は太極図に術力を注ぎ込みながら、呪を唱える。
「紅水陣、疾!」
 魔力が京一の頭上に集結し、真紅の雨を降らす。
 ただの雨ではない、強酸性の液体であった。
 雨に触れた京一のターバンが、服が、そして肌が煙を上げて溶けていく。
「小賢しい技を」
 舌打ちすると共に、京一は洸にむかって走りだした。
 それを追い雨も移動するが、京一の速さに追いつかない。
 ジグザグに動き回り、大きく迂回をしながら流依たちに向かってくる。
「さてと仕留めようかな」
 流依が、自分に向かってくる京一にむかってマテリアルを構え、迎撃の態勢を整える
 彼我の距離が縮まり、マテリアルを投擲する直前、鏡也が叫ぶ。
「待て、狙いは洸くんだ!」
 鏡也の推測通り、流依に突撃するように走っていた京一が、不意に大地を蹴り、宙を舞って、流依の後方で呪を唱えている洸にむかっていく。
「おっと」
 マテリアルを頭上めがけて流依は放つ。
 だが、そこで京一は信じられぬ行動を取った。
 右手に持つ曲刀で、自分の左手に斬りつけたのだ。
 左手が、手首から切断され、瞬く間に塵へと還り、マテリアルにまとわりついて、動きを封じる。
 鏡也の警告は、洸にも聞こえていた。
 素早く大極図を操り、呪を組み替える。
「疾!」
 掛け声とともに洸は、太極図を突き出した。
 太極図から、紅水陣により作り出された強酸の奔流が、京一にむかって放たれる。
 あらゆる物を溶かす紅の液体。
 だが、京一は奔流にあわせて曲刀を振り下ろす。
 刀身から噴出する邪力が、強酸を瞬く間に霧散させる。
 邪力の洗礼を受けなかった紅き飛沫が、わずかに京一の体を溶かすが苦痛の表情も浮かべず、そのまま曲刀を洸にむかって突き出す。
 すでに振りぬいた後のため、力は込められていないが、それを補って余りあるほどの邪力が込められていた。
 洸もまた全力の呪を放った直後であったため、動きが遅れる。
 邪力を噴きだす刀身が洸の顔面に迫る。
「くっ!」
 死の危険を感じた洸はとっさに右手を突き出した。
 右手に握られていた太極図が、主の危険を察知し、障壁を形成する。
 太極図に込められた魔力と、曲刀に宿る邪力が激突する。
 仙界の至宝、封神の戦いにおいて凄まじき力を発生した空間を操る宝貝「太極図」
 だが、魔獣の前には、その力も無力であった。
 障壁は一瞬によって裂かれ、刀身が太極図を切りつける。
 自身の魔力により消滅こそ免れるが、その表面に深い傷をつける。
「駄目だな、お前では俺の渇きは癒せない。」
 京一は断言すると、右足を蹴り上げた。
 世界でも屈指の術の使い手ではあるが、戦闘訓練は受けていない洸は回避するどころか、それに気づくことすら、不可能であった。
 洸が気づいたのは、京一の靴の先が腹部に減り込んだ後であった。
 体内で何かが砕ける音が消えた瞬間、激痛が走り、洸は 後方に吹き飛んだ。
 激痛により、洸はバランスを崩し、倒れこむ。
 その隙を京一は見逃さない。
 異空間の地面を蹴り、再び洸に襲い掛かる。
 バランスを崩した洸に交わす術はないはずであった。
「まずは一人!」
 必殺の一撃が、無防備な洸の頭部に打ち込まれる。
 あらゆる物を塵へとかえす刀身が狙いたがわず炸裂し……
 ……鏡が砕け散った。
「なに!」
 さすがの京一も驚きを隠せなかった。
「……間一髪というとこかな?」
 鏡也がぽつりと呟いた。
 その隣には、青ざめた顔の洸の姿があった。
「鏡像か! 無駄な足掻きを」
「果たして無駄かな? 君が全力を出すたびに、君の力は私によって解析されているのにね」
 鏡也は悠然と微笑んでいた。
「何を世迷言を!」
「世迷言ではないよ、君のその消滅の技、なかなか見事だが、その力はどうやら君の曲刀に宿っているようだ。つまり、その刃さえ封じれれば、君はその強大な力を振るえなくなるわけだ。」
 京一の顔に焦りが浮かぶのを見て、満足そうな笑みを浮かべた鏡也の背後で、どさりと何かが倒れる音がする。
「おつかれさん」
 鏡也の背後では、洸が意識を失い崩れ落ちていた。
 その手から、太極図が転がり落ちていた。
 最強の宝貝は、邪力の直撃を受けたためか、内在する魔力を放つことなく沈黙を保っていた。
「ふん、たとえわが手の内を読まれようと、すでに貴様らも一人は死者同然、いい勝負ではないか?」
「死者、それはどうかな? 彼が作り出した結界も今だ崩壊していない。これは彼が意識を失ってもなお、戦っているという証拠ではないのかね」
「愚問を!」
 苛立たしげに京一は吐き捨てた。
「なにを苛立っているのかね? 千年前も今も、最強のはずの力を得てもなお、滅びの道を歩んでいるのかね? なんなら、その理由を説明してあげようかな!」
「黙れ! お前も滅べ!」
 怒りに満ちた声で、手首から先がなくなった左腕をするどく振るう。
 その腕に押されるかのように、京一の周囲に漂っていた砂塵が、鏡也にむかって走る。
「おっと」
 鏡也が右手を突き出すと、鏡也を護るように強大な鏡が姿を現す。
 砂塵が鏡と衝突する。
 だが、砂塵は鏡を破壊することはできなかった。
 世界を映す鏡の中へと吸い込まれていく。
「攻撃が単調だね、砂塵は”向こう”へ、招待させてもらったよ」
「おのれ!」
 京一は突進し、鏡にむかって斬りつける。
 曲刀が鏡を割り、破片が周囲に散らばる。
 だが、割れた鏡のむこうに浮かぶ鏡也の顔には笑みが浮かんでいる。
「貴様の鏡など、いくつでも壊してやる!」
「だが、私だけに気を取られてもいいのかな?」
 首を傾げる鏡也に、京一は驚き、周囲を見渡す。
 悠然と立つ鏡也、倒れている洸。
 だが、流依の姿はなかった。
「上か!」
 見上げた京一の視界に、空中に浮遊する流依と、周囲に散らばっている無数のチャクラムがあった。
 驚愕の表情に歪んだ京一に、流依は微笑んだ。
「遅いよ」
 流依がマテリアルを投じると同時に、周囲のチャクラムもまた一斉に京一に襲い掛かる。
「くそっ!」
 飛来するチャクラムを交わしながら、必殺の魔力を放ち迫り来るマテリアルに対し、曲刀を打ち込んだ。
 あらゆるものを塵に還る邪力の込められた刀身。
 だが、その刀身は力を発揮することはなかった。
「なっ!」
 予想していない状況に京一の顔に焦りが浮かぶ。
 マテリアルの勢いに押されそうになるのを必死に食い止めようとするが、その隙に乗じて、チャクラムが全身を切り裂く。
「うがああ!」
 痛みが集中を途切れさせ、マテリアルの威力に耐え切れず、曲刀が京一の手からはじけ飛ぶ。
「なぜだ! なぜ、塵化の邪力が働かない。」
 全身から血を噴き出しながら、京一は叫んだ。
 その顔には戸惑いと恐れが入り混じっている。
「働いてはいるよ、……ただし周囲に張り巡らされた結界により、触れることができないだけでね」
 鏡也の説明に、京一は床に転がっている曲刀を見た。
 説明のとおり、曲刀をぼんやりとした青い光が包み込んでいた。
「くそ、いつの間に!」
「洸くんが気を失う直前にかけた呪だよ。さすがは最強の道士といったところかな、自分の役目はしっかりと果たしてくれている。」
「おのれ!」
 苛立たしげな眼で、京一は、倒れている洸を見る。
「そんな怒っている暇はないのではないのかな?」
 鏡也の言葉に京一は再び周囲を見る。
 攻撃を終えたはずのチャクラムが、周囲に漂っていた。
「砂塵もない、曲刀もない、牙を失った魔獣がどこまで戦えるかな?」
 再びチャクラムが縦横無尽に京一に襲い掛かる。
「なかなか便利なものだね、重力を操る力も」
 その様子を鏡也は感心しながら観察していた。
 重力を操る術力、それは、姉の力を知る前から、そしてマテリアルに出会う前から流依が持っていた彼自身の力であった。
 その力でチャクラムを自在に操っているのであった。
「さてと、私も少しは手伝うか」
 鏡也の体から放たれた魔力が、彼の傍らで形作り等身大の鏡となる。
 鏡には、チャクラムの攻撃を必死にかわす京一の姿があった。
「鏡は人を映すもの、そして呪術とよばれるものは、呪う対象を記号化させる手順を踏むものならば、鏡に移りし物こそ、最高の素材となる。」
 鏡也は魔力を腕に込める。
「鏡と等しく砕けよ、魔獣!」
 鏡也は右手で鏡を叩きわった。
 鏡に亀裂が入り砕け散っていく。
 その亀裂にそって、実態の京一の表面にも傷が走る。
「ぐああああああ!」
 鮮血をあげ、悲鳴をあげる。
 だが、切断されたのは、表面だけであり、それほど深い傷は生じなかった。
「なるほど、さすがは魔獣、私の魔力をある程度は弾くか」
「もう少し真面目にやってもらいたいね」
 鏡也の傍らに降りてきた流依が苦笑を浮かべる。
「何をいっている。もともと私は、戦闘向きの力はもっていないよ。それに気をつけたほうがいい、まだ彼は隠しだまを持っているようだ」
「へえ」
 チャクラム相手に奮戦している京一に、二人の会話は聞こえない。
 だが、二人の様子をみて苛立たしげな気分が心に充満する。
(なぜだ、なぜ、俺がこの様な無様な戦いをするのだ。)
 千年前は、大結界は存在していなかったため、今とは比べものにもならない力を持つことができた。
 だが、今はその力を封じられ、わずか3人のため、滅ぼされようとしているのだ。
(俺は世界を砂漠にかえるのだ。)
 この世界に失望し、渇いた心をわずかで潤すため、だが、その野望は目の前の3人の男によって打ち砕かれようとしていた。
「認められるか! そんなこと!」
 怒りの声をあげながら、京一は跳躍した。
 その刹那、邪力が風となって吹き荒れ、周囲のチャクラムを弾き飛ばす。
「ほう」
 鏡也は、京一の姿を追った。
「死ねえ!」
 着地すると同時に京一が叫んだ。
 邪力が生み出した風の刃が二人を襲う。
 鏡也は何もいわず、流依の背後に隠れる。
 風の刃が突き刺さる直前、流依の体から魔力が迸り、3対の翼が生まれる。
「すべてを弾く、銀の輝きよ!」
 麗しき女性の声で流依は叫んだ。
 銀色に輝く翼からから放たれた魔力が、流依の前で展開し風の刃を受け止め、打ち消していく。
「レディの背後に隠れるとは、男らしくないな?」
「君なら、規格外だから大丈夫だろう。」
 真顔で鏡也は答えた。
「何を呑気に喋っている!」
 京一が二人を睨み叫んだ。
「もう一度、俺の風を防げると思っているのか!」
 京一が豪語する。
「確かに、2回も食らうとつらいね」
 流依も同意する。
 受け止めはしたが、そのために流依の魔力も大量に消費していた。
 あと2回ほどしか受け止める自信はない。
「ふはは、邪力の弱点もわからぬ今、お前たちに勝機はない、泣け、喚け、命乞いをしろ!」
「君の動きを封じればいいだけだろう」
 鏡也の台詞に、笑おうとしていた京一の顔が強張る。
「奥の手ね、わざわざ自分の手を消滅させてまで砂塵を操る力に見せかけていたとはいえない表現だね、もうわかったよ、今まで君が操るとき、大げさな動きをしていた。飛んだり、跳ねたり、すばやく体を動かしていたりね。つまり、体を高速移動させることで生じる大気の揺れを増幅させ操るのが、君の邪力の風の原理なのだろう。ならば、動かないようにすればいい」
「ちいいい!」
 正鵠を得ていた鏡也の言葉に、焦りを覚え京一はすぐさま風を放とうと、跳躍しようとした。
 だが、彼の意思に反して、体が動かない。
「君の動きは封じさせてもらったよ」
 鏡也の傍らに作り出された等身大の鏡が、京一の姿を映していた。
「鏡による呪縛、果たして破れるかな」
「!」
 口を動かすことも封じられ、京一は凍ったようにその場に立ち尽くす。
「後は任せたよ」
「わかった。」
 流依が動きを封じられた京一に近づく。
 黒い翼が、まるで抱きしめるかのように、京一に被さる
「連綿と受け継がれし悲しき者たちの想い。深淵たる闇よりも暗く、数多の光をも吸い込む漆黒の輝き……」
 黒い翼に満ちた魔力が、京一の体から放たれる邪力を吸収していく。
 いや、それは貪っているといっても良い光景であった。
 全身の邪力を吸い尽くされ、京一の体は霧散し、後には魔玉が転がるだけであった。




 地面に転がった魔玉を、流依は拾いあげる。
「思ったよりもあっけなかったな」
 洸は気を失ったが、死んだわけではない。
 邪力を封じたせいもあるが、最後のほうの動きは、その強力な力とは裏腹にあまりにも無残であった。
「心の力の問題だよ。彼は魔獣になった時点で負けていたのだよ」
 鏡也が説明をはじめる。
「世界に渇きを感じたゆえに世界を滅ぼす。魔獣の力を得たのなら、誇大妄想ではなく実現できる夢ではあるが、その前に渇いたからといって自分で何をなそうともしなかった。運命にあがなうわけでもなく、受け入れるわけでもなく、ただ放棄しただけだ。ただ、それを自分で認めてたくないから、大望を抱くような態度をとっていただけでね。そう考えれば、君のほうがまだマシだというわけだ。」
「皮肉かな? それとも感謝したほうがいいのかな?」
「それは君次第だ。さて、話を戻すが、だからこそ、彼は自分の優位が崩れると、脆い自分の心を曝け出してしまったのだよ。気を失ってもなお、術力を維持しようとさせている洸くんと違ってね」
「なるほど。ところで、この結界から抜け出るのはどうすればいいかな?」
「無理やり壊すか、洸君が目覚めて解除するのを待つかだね。無理に壊すと、洸君にダメージを与えるかもしれないから、このままに……」
 鏡也が訝しげな目を周囲に向ける。
「誰かが、外から壊しにかかっているな、強力な邪力だ。これでは持たないな。しかし、なぜ邪力が?」
 流依は笑みを浮かべる。
「ようやく現れたか。でも、今回はこちらの勝ちなのに、なぜ?」
 洸の作り出した結界が崩壊し、3人は京一が創り出した砂漠へと戻される。
 流依たちの前には、対峙するかのように、8人の男女が立っていた。
 派手なリングやブレスレットをした黒髪のホスト風の男
 真紅のチャイナドレスを纏った妖艶な美女
 日本刀を腰に差した白いスーツの男
 ニコニコとわらう銀色の髪の少年
 神父の服を着た目つきの鋭い男
 Tシャツ、ジーンズの半ズボンの少女
 トレンチコートを着た青年
 左目を黄金に輝かせる女性
 誰もが、その身に騎士クラスの強大な力を宿しているのを、鏡也は感じた。
「どや、災厄のアルカナ、そろいぶみやで」
 ホスト風の青年”愚者”のクロウが、楽しそうな笑みで言い放つ。
「やれやれ、中身が違うのはわかってるが、その姿で私の前に出て来られるとね……何人か知った顔がいますから、手を出したくなるじゃないですか」
 流依もまた楽しそうに言い放つ。
 一人一人が、流依と互角の力を持つ以上、戦えば敗北は必死のはずなのに、恐れの表情は微塵もない。
「で、私達に何か用かな?」
 鏡也もまた恐れることなく尋ねる。
「わいたちではないけど、用があるひとがおってな?」
「ほう」
 その刹那、膨大な邪気が、クロウたちの背後から放たれる。
 空間が歪み、その中心から現れたのは……
「久しぶりじゃな、パラディンシルバーよ!」
 白衣をきた学者風の老人が流依を見ながら叫んだ。
「やれやれ、本当に勢揃い、ですか」
 流依が半眼で老人を睨む。
 老人の隣には、メイド服の上に白衣を着た少女の姿もあった。
 この老人こそ、魔獣の中でも頂点にたつ13の魔獣王の一人”魔獣博士”であり、隣にいる少女は、その助手であるユメコであった。
「……あー、アルカナの人達、こんなのとも付き合いがあるんですか? 止めた方が良いですよ」
 心からの忠告を流依はする。
「ふん、ふん、儂も挨拶に立ち寄ったまでよ、久しぶりに現出したのだからな」
 魔獣博士が後方を見る。
 いつのまにか、そこには占い師のようなローブをまとった美女がいた。
 先刻、流依が出会った美女。
 だが、その時は隠していた膨大な邪気を放っていた。
 美女を見て、魔獣王であるはずの魔獣博士が恭しく頭をたれる。
「久しぶりです、魔獣の女王よ」
「こちらこそ、魔獣博士よ。そして……」
 女王は、流依たちをみて微笑む。
「見事な戦い振りでしたわ、円卓の騎士たちよ。」
 災厄のアルカナたちの脇を通り過ぎ、流依たちの前にやってくる。
 流依が口を開こうとするのを、鏡也が制する。
「禍禍しく、それでいて美しい邪気か、なるほど、われらが総帥、マーリン君が言っていた”彼女”とは君のことだね」
「その通りよ、貴方からあの人の気を感じます。今生も元気ですか、あの人は?」
「元気だよ、とてもね。もっとも朝しか美味いコーヒーが飲めないとぼやいているが。」
「ふふっ、あの人らしい。」
 女王が微笑んだ。
 その瞬間だけ、膨大な邪気も、圧倒的な存在感も消えうせ、まるで少女のような笑みであった。
「彼からの言付けだ。『よろしく』だそうだ。彼に何か伝えることはあるかな?」
「ええ、今でも気持ちはかわらないと伝えてください。今生でもあうことのできない、あの人に……」
「確かに、伝えておこう」
 鏡也は確約すると一歩退いた。
「流依くんも話したいことがあるのだろう。今のうちに聞いておいたほうがいいと思うよ」
「そうですね」
 流依は、女王を見た。
「なぜ、今回に限り、貴女が現れたのですか?」
「会いたくなったのよ、あの人の仲間の中でも、頂点にたつ人をね」
 王の視線は、流依に注がれていた。
「ご冗談を、私にはそんな力はない」
「現時点においては、間違いなく貴方だわ、二人の女性に愛されし、戦輪と翼をもちし戦士よ、もしも、運命の糸が貴方を護るのなら、また会いましょう」
 女王の体から、強烈な邪力の波動が放たれる。
 凄まじい力の波動に、流依と鏡也が身構えた一瞬のうちに、二人の魔獣王と配下は姿を消していた。


エピローグ

「『博士』『女王』そして『アルカナ』・・・『総帥』。少しは楽しめそうじゃないか?」
 鏡也は楽しげに呟いた。
「くくっ……、いいね。とても良い。未だ知るべき事は尽きず、死もまだ身近に存在する」
 鏡也の顔に笑みが浮かぶが、それは歪んだ興味の笑みであった。
「さてと、私は帰るよ、君もいい加減、学校に出たまえ、みんな困っているようだ」
 それだけいうと鏡也は去っていった。
「それを言われると頭が痛いね」
 男に戻った流依が苦笑する。
 流依もまた世界史の教師として聖グレイル学園に在籍していたが、叩きつけるように休職届を出しており、最近、学校には顔を出していない。
「まあ、今回はこんなものか。しかし、今回はいろんなものが見えてきたな」
 煙草に火をつけると、深く吸い込む。
「かつての騎士たちの肉体を持つ『アルカナ』、ふざけた『魔獣王』そして、『女王』と『総帥』……」
 ゆったりと思考の海に漂いながら、流依は呟いた。
「……盤上には駒が揃いつつある。今のところ私は、こちら側の使い勝手の良い駒というところですか。でも」
 流依は煙草を地面に捨てると足で火を消しつぶす。
「駒がいつまでも駒のまま、満足しているとは限らないのですよ……」
 呟きながら、流依も立ち去った。


 数分後、仰向けに寝かせられていた洸が目を覚ます。
 上半身を起こし、虚ろげな瞳で周囲を見渡す。
「あれ?」
 洸は慌てて立ち上がる。
 都市の一部ではあるが、砂漠となった異質な風景。
「これは夢でみた光景、どうして僕がここに?」
 洸は頭を左右に激しく振った。
 まるで悪い夢から逃げるかのように。
 だが、光景は変わらない。
「これはいったい?」
 最近の記憶が曖昧で、なぜ自分がここにいるのか、判断ができなかった。
 さらに、なぜだが判らないが大きな喪失感が胸をしめていた。
「どうしよう、どうしよう」
 そこには冷静な道士である洸の面影はなかった。
 どこにでもいる18歳の少年の姿がそこにはあった。
「我、時の法を知りて昔を見る……」
 何気なく洸は、その呪を口にした。
 洸の呪力に反応し、呪は完成され、先ほどまでの戦いを映し出す。
「あ、あ・・」
 記憶のピースが瞬く間に繋がっていき、気を失う直前までの記憶が蘇ってくる。
 そう、記憶だけは。
 記憶としては存在するはずなのに、それに伴う感情が消えうせていた。
 自分の記憶のはずなのに、まるで他人の記憶を覗いているかのようであった。
 洸は地面に転がったままであった太極図を手にした。
 触れるだけで感じる膨大な魔力がまったく感じられない。
 邪力を直接受けたために、破壊されてしまったのだ。
 仙界の至宝ですら、その力を失うほどの邪力の余波を自分も浴びた事に気づいた洸の脳裏に、鏡也の忠告が浮かぶ。
(君の場合、上手く融合しているようだが、気をつけたほうがいいかもしれないね。なんらかのショックを受けると、魂が剥離して、下手すれば自我と記憶が消滅するかもしれないからね)
「違う、僕は僕だ。記憶もちゃんとある。」
 洸は自分の記憶を探る。
 仙界での厳しい訓練の結果、魂に刻み込まれた呪法すべては、まだ彼の中にあった。
 だが
「仙界での記憶がない」
 呆然と洸は呟いた。
 融合するまでの仙界の記憶がまったく消滅していたのだ。
 冷静沈着に術をあやつれる道士としての記憶すべてが失われているのだ。
 世界最強クラスの呪力を有しながらも、彼の精神は、ごく平凡な高校生へと戻ってしまっていた。
「どうしたらいい、僕はどうしたらいいんだ。」
 仙界の至宝と、道士としての魂を失い、洸はただ途方にくれるしかなかった。


あとがき

 魔獣の女王の登場、あの神無月鏡也の短編初登場、そして洸君の宝貝消滅と、いろいろな展開を見せた、2001年の短編を締めくくる話です。
 まあ、魔獣の女王の本格的な登場は、まだ十数年後の話ですけどね(笑)
 それまで話が続けれるといいなと思う水無月冬弥だったりします。
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