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アニメや映画、漫画にもなった小説なので、知っている人も多いであろう
ぼくも全巻持っているが、この小説を説明しようと思うと、かなり難しい。
なぜだろう。
ジャンルは現代ファンタジー、それは間違いない
現代を舞台にした超能力者たちの物語だから。
だが、この端的な説明でもブギ−ポップとは微妙に違う気がしてならない。
超能力者、合成人間、謎の組織、世界の敵……。
さまざまなファンタジー(またはSF)の要素が中心となって物語が進んでいくのに、現代ファンタジーと明言してしまうのをはばかれてしまう雰囲気がブギ−ポップにはある。
その原因の一つは、この世界の曖昧さだろう。
この世界には、無数の「世界の敵」が存在するようで、主人公でありこの物語の狂言回しであるブギ−ポップはそれを抹殺する存在である。
だが、そもそも、この根本たる「世界の敵」というのが何かわからない。
僕的には「未来の可能性を歪める可能性のあるもの」または「精神の成長というものが欠如したもの」だと思うのだが、なぜそれを世界の敵として抹殺しなくてはならないのがわからない。
敵である統和機構の真の目的もわからない。
謎また謎なのである。
さらに時折登場する、霧間誠一のわかるようなわからないような哲学めいた文がさらに謎めいた雰囲気へと叩きこんでいく。
もう一つの特徴に、登場人物が多いというのがある。
しかも、ただ多いのではない。
それぞれの物語は完結している(上下巻などはあるが)のに、その登場人物が脇役として、他の物語にも登場しているのだ。
ある時は通りすがりの人物として、あるときは因縁のある人物として。
しかも、物語が時間軸がバラバラに語られているので(最新刊も一巻より数年前の話である)、よけいに混乱する。
あるサイトによると多少矛盾点はあるそうだが、はっきりいっていわれなければ僕は気付かない程度である。
というか、よくここまで破綻していないものである。
カッコよくいアイデアに満ちた超能力、明確にされない物語のストーリー、時間軸どおり進まない物語、そして、多彩な登場人物。
だが、それらに惑わされずに見ようとすると、これは少年少女の物語だと思えないこ
ともない。
どの物語も、少年達の成長と青春の物語だからである、ちなみに成長しない奴はきっとブギーポップに殺されてしまうだろうから物語の主人公になりえなかったりする(笑)
昔からのステロな物語の構成ではない、現代の少年少女の物語、いや、ファンタジー要素がこめられているから、御伽噺……、そう御伽話だ。この言い方が一番正しいのかもしれない。
昔の御伽噺とちがい、多種多様な存在感があふれている現代の御伽噺だからこそ、明確な終わりはない。
ただ、読者がそれを読んでどう感じるかなのだ。
ぼくは終わりのない物語は基本的に嫌いである。読者に下駄を預けるのは作者としての恥だとすら思っている。
だが、このブギ−ポップシリーズについては、曖昧な雰囲気はあるものの、嫌いではない。
その作品で主たる登場人物の物語は終わっているからである、ただ雰囲気として曖昧な気分が残るだけで。
よく考えれば考えるほど、稀有な才能である。
いちど作者の脳みその中をみて調べたいものだ。
きっとよくわからない構造になっているに違いない。
今回はあまり辛口にならなかったが、問題は読み手にあるからだ。
この作品、共感できる人には面白いが、共感できないできない人には、非常に曖昧でわかりにくく複雑で、つまらない作品ではないだろうかと思ってしまう。
元来小説は人を選ぶが、これは特に読み手を選ぶ作品なのではないのだろうか?
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